しおや100キロウォーク〜地獄の100kmへの道 本番〜
本番当日は少し早く目が覚めた。
ゆっくりと準備をして車で会場入り。予定より早く着いた。
駐車場には集合時間まで2時間近くあるというのにすでに多くの参加者が集まっており、ゼッケンをつけたり談笑したりしながらスタートを待っていた。
天候は曇り。暑くもなく寒くもなく、コンディションは上々だった。
受付に行くと、ゼッケン、コースマップ、バーコード付きのタイムカードなどが記念品とともに渡された。
この時にヘッドライトを持っているかどうかも聞かれた。
一人で参加したため、そのままスタート会場にいても間が持たないと思い、一旦車に戻って時間が来るまで仮眠をとった。
スタート会場に戻るとすでに多くの参加者が集まっていた。
開会式は非常に簡潔に執り行われた。
主催者は構想から5年越しの夢をついに実現させたとのこと。
5年前というと震災から一年が経った頃。
栃木県北も震災の被災地ではあったが、福島などからの被災者の方々を受け入れて1年が過ぎ、ようやく被災者の方々の次の行き先が決まって、受け入れ施設であった市営の温泉などが震災前の状態を取り戻しつつあった。
地元のために何かやりたいという思いを風化させずに実現させた信念には恐れ入るばかりだ。
ゼッケン番号順に50人区切りずつで並んで、合図とともにスタートした。
グランド内のトラックを回るあいだ、ドローンが参加者を撮影していた。
スタートしてからしばらくはぞろぞろと長い行列を作って300名を超える参加者がゆっくりと進んでいった。
一緒に参加した仲間たちとおしゃべりしながら歩いてゆく様からは初詣のようなめでたい雰囲気も感じられた。
コンディションが良かったことと、お祭り的な高揚感に包まれていたこととが手伝って、前半はハイペースでぐんぐんと進んでいった。
田舎の風景自体は見慣れているが、それでも自然に囲まれたいつもと違う道を歩くのは気持ちが良かった。
山の中を登って行くと東古屋湖という湖に着いた。
小舟に乗って釣りを楽しむ人たちで賑わっており、波のない静かな湖と断崖のような切り立った山の対比が水墨画の世界を思い起こさせてくれた。こんな場所が塩谷町にあったことを初めて知った。
釣り人たちまでもが絵の一部になるような綺麗な風景を眺めながら、最初のエイドステーションで甘酒をもらった。まだ始まったばかりだが、山道を登ってきた体に温かい甘酒がしみた。
休憩もそこそこに、気合を入れ直してぐんぐん進んでいく。かなりのハイペースだが、気持ちが乗っていた。
次のエイドステーションはアイスまんじゅうと書いてあったので、大して暑くもないからパスしようかなと思っていたが、実際は凍らせた小ぶりの饅頭であり、意外とサイズ、温度がちょうどよくて美味しかった。
この辺りまでは途中で抜いた人たちもエイドステーションで休憩しているとすぐに追いついてくるといった具合で、皆がほとんど同じようなペースで進んでいたように思う。
そのあともアップダウンが続き、徐々にスタミナが奪われていった。
ただ、せっかくいいペースで来たのだからという欲が勝ってしまい、27km付近のトイレ休憩まで一気に歩き続けた。
すでに前哨戦の20kmを超えていたが、足の裏や腰回りの痛みも特になく、それほど熱を持っている感じもしなかったので、あとは気持ちの問題だなと思っていた。
そして最初のチェックポイントである上平ポケットパーク(36.8km)に到着した。
ここでタイムカードのバーコードを読み取ってもらった。
3分の1が過ぎ、大きな休憩ポイントでもあるはずなのに、意外と人は少なかった。
入念にストレッチをし、足裏の痛み対策としてインソールを交換した。
靴を脱いで足を伸ばして地面に座っているだけで心地よかった。
すでに陽は落ちていたが、気温はそれほど下がってもいなかった。
そろそろ足が熱を持ち始めていた。体力的なきつさは感じていなかったが、足に痛みを感じることが多くなってきていた。
ここから次のエイドステーションである肘内公民館(43.5km)まではかなり無理して頑張った。
ふくらはぎに刺すような痛みがあったが、止まっても和らぐような気配はなかったので、公民館に着いたらしっかり休んでストレッチしようと思って我慢した。
途中で自宅の庭先で観戦しているご夫婦から、声援とともに通過順位を告げられた。
最後尾付近からのスタートだった割に、そこそこの人数を抜いていたことがわかった。
これも無理に拍車をかけてしまった。
折り返し目前となるセブンイレブン(48.5km)では足の痛みが一時的に引いていたこともあり、おにぎりを2つ食べただけで休憩もほどほどに出発したのだが、この次のセブンイレブン(54km)までの区間が強烈にきつかった。
ある意味でこの区間で終わっていたのかもしれない。
右の膝が動かない。力を入れても曲げることができなくなってしまった。
それまではふくらはぎ、太もも裏、太ももの付け根、膝などに痛みや熱を感じると、なんば歩きをやってごまかしていた。
腰を振って足を動かすという歩き方で、簡単に言うと手と足が同時に前に出るような歩き方である。
これを途中に挟むことで足の筋肉への負担を軽くすることができたので、熱が引いたり痛みが和らいだりしていた。
余談だが、このなんば歩きは日本科学未来館の「忍者ってナンジャ!?」展で覚えた。というか展示を見ていたら説明員の方に無理やり練習させられたので覚えてしまった。
http://www.miraikan.jst.go.jp/spexhibition/ninjya/index_2.html
がしかし、もはやこのなんば歩きさえも機能しなくなってしまった。
なんとか動いている左足を前に出し、それを軸として体をひねりながら膝の曲がらない右足を前に持ってくる、といった具合で進んでいく姿は、まるでコンパスが歩いているかのようであった。
ようやくセブンイレブン(54km)に到着してしっかり休憩するも、一向に回復の気配がない。
このまま休んでいても時間だけが過ぎていってしまう。
次のチェックポイントである旧玉生中学校(=スタート&ゴール会場)には午前5時というタイムリミットが設けられている。
前半に飛ばした分の貯金が残ってはいるが、とにかく旧玉生中学校までは行きたいと思って、大幅にスローダウンしたペースで坂道を登った。
途中の休憩ポイントで、スタートしてからしばらく同じペースで歩いていたグループに追いつかれた。
前半調子に乗って飛ばしまくっていた人間についに追いついたぞという歓喜の表情がグサリと突き刺さる。
でもそれ以上に足が痛い。
もはや右膝は曲がらないだけでなく、着地の衝撃から耐え難いほどの痛みを受けるようになっていた。
それでもなんとか午前2時半には旧玉生中学校(64.5km)に到着することができた。
足の痛みが気になって芋煮のありがたみが薄れてしまった。七味を多めに入れたところで足の痛みから気をそらすことはできなかった。
ここはたっぷり時間を使って回復を待たないと、完歩の可能性が消滅してしまうと思い、足の回復のために50分近く休息をとった。
二度ほどマイクロバスが会場内に入ってきた。
運ばれてくる人たちは自分と同じように足を引きずっている。
限界を超えてしまったためにリタイアを選択せざるを得なかった人たちであった。
頭の中をぐるぐるとリタイアの文字が巡る。
時刻は午前3時が近づいていたが、全く眠気はなかった。
残念ながら足の痛みはそれほど回復しなかったが、あとは行けるところまで行こう、小刻みに休憩しようという方針に切り替えて、次なる目標の地である道の駅(78.7km)へ旅立った。
進み出したはいいが、ペースが落ちているので体が温まらない。
体温の低下だけでなく気持ちまで沈んでしまわないようにとダウンを着込んだ。
そこに追い打ちをかけてくるように雨が降る。
ここまで二度ほど小雨が降ったが、粒も小さく短時間で止んでくれたので気にせず放っていた。
しかし、この時ばかりは長引きそうだったのでカッパを着た。
フードをかぶって音が遮断されると孤独感が増してくる。
スタスタと抜いていく若いグループが過剰に楽しそうに見えた。
痛みに耐えられなくなる間隔が40分、30分、20分と次第に短くなっていく。
その度に立ち止まり、あてのない回復をしばし待つ。
次々に抜かれていきながら進んでは止まり、止まっては進みを繰り返していると空が白んできた。
ヘッドライトを外したところで何も楽にはならないが、他にできることもないのでポケットへ入れた。
時刻は午前5時を過ぎ、道の駅の制限時刻午前8時まで3時間を切った。
残りは7km程度であったが、すでに時速3kmで進むのがやっとのペースであり、道の駅に着くことはできても最後のゴールへ午後1時にたどり着くことは数字の上からも不可能に近かった。
そして右膝の痛みは増すばかりだった。50mおきに立ち止まり、縁石の上に座り込むという状態が繰り返し続いた。73km付近のトイレ休憩ポイントまでたどり着いた時点で、道の駅まで2時間かけて歩き続けるという目の前の壁を乗り越えるだけの精神力が尽きてしまっていた。リタイアしよう。
道の駅は78.7km地点だが、そこまでのコースは一度通り過ぎてから戻ってくるようなルートが設定されていた。
リタイアを決断した73km地点からショートカットすれば2kmほどで道の駅に行くことができる。そこであのバスに乗ろうと思った。
コースマップに載っている大会本部へ電話すれば巡回している係の方が迎えに来てくれるだろうとは想像できたが、自力でチェックポイントまでたどり着くことがここまで頑張ってきた自分に対するせめてもの報いであり、足掻きであった。
早朝だというのに通りすがりの塩谷町の人たちが足を引きずる自分に声援を送ってくれる。
コースを外れ、ショートカットの道に入ろうとした時も親切に正規のルートを教えてくれた。
「ここからショートカットして道の駅でリタイアするんです」と自分の口からリタイアという言葉を発して、改めて100km完歩への挑戦が終わったことを悟った。
わずか2kmのリタイアへの道のりも1時間近くかかったような気がする。時計を見る余裕もなかった。
途中で抜いていった人たちもペース的には完歩できるかどうかギリギリの時間であるにもかかわらず前に向かっていた。本当はこの人たちと同じようにたとえ100kmにたどり着かないとしても24時間歩き続けたかった。
最後尾付近とはいえ、みんなすでに17時間近くを歩き続けている。ペースよりもその時間歩き続けることの大変さを身をもって感じた。
道の駅に着くと、大会運営の方々が温かく迎え入れてくれた。
スープ焼きそばとシフォンケーキを食べて休んでいると少しずつ眠気が出てきた。
8時のタイムリミットギリギリに、コース上にいる最後尾の参加者が入ってきた。なぜか自分の事のように嬉しかった。
バスに乗ると雨が激しく降ってきた。残り5時間、20kmの距離を歩き続ける人たちの無事と完歩を祈らざるを得ない心境だった。
ゴール地点の旧玉生中学校について、お餅をもらってカレーを食べるように促してもらったが、その気力もなかったのでお餅だけもらって会場を後にした。
雨の中、足を引きずりながら駐車場へ向かう道のりは達成感や安堵の気持ちはなく、「完歩したかったな」という言葉が頭の中を巡り、少し悔しい気持ちだった。
所要時間18時間、歩行距離73kmで無念のリタイア。
自分にとっては大いなる挑戦だったが、失敗に終わった。
しかし、あれだけ辛い思いをしたにもかかわらず、足の痛みが消え、歩けるようになってくるとまた挑戦したいという気持ちがもくもくと湧いてきているから不思議だ。
次はせめて24時間歩き切りたい。いや、100km完歩したい。
開会式で5年前に構想したという話があったが、大会自体の運営は100キロウォーク初開催とは思えないほどの手際の良さであり、ありがたかった。相当他の大会等を勉強されたのだと思う。
そして塩谷町の人たちの協力も素晴らしかった。深夜に知らない人間が民家の周りをライトをつけてウロウロするだけでも気持ちが悪いだろうに、そんな人間を沿道に立って応援してくれた。
思い出に浸ってじーんとしているが、改めて反省点を書いてみる。
最大の反省点は何といってもペース配分のミスだ。
前哨戦20キロウォークで時速6kmが自分のペースだと設定した。確かにこれ自体もアップダウンの多いところではオーバーペースだったが、それ以上に休憩を取らずに前半に脚力を過剰に使ったことの代償は大きかった。
せっかく1時間おきに最大10分休憩というペースを想定していたのに、それを守らなかった。アホである。
振り返ってみてもスタミナ面できつかったのはアップダウンが続いているところくらいで、細かく食料や飲み物を補給できるので疲れてつらいという場面は思い出せない。
とにかく足への負担をどこまで減らせるか。その課題に対してどういうペース配分をするかが重要だったと思う。
一方でよかった面はというと、
・寒さ対策の服装(そもそも気温が思ったより高かった)
・足裏の痛み対策のインソール交換
あたり。
膝、ふくらはぎ、太ももは長時間の歩行でかなりダメージを負ってしまったが、それに比べるとくるぶしより先の部分についてはあまり苦しむほどの痛みに見舞われなかった。
これはインソールを途中で交換して衝撃を受ける箇所を分散するという作戦が功を奏したのではないかと思う。
問題視していた退屈については全く心配無用だった。退屈している暇などないくらい痛みの波が押し寄せていたから。
持っていったiPodも結局使わなかった。
やれやれ随分と大作になってしまったが、それほどまでに非日常にどっぷりと使って闘った1日だった。楽しかった!
夏の40.8kmはどうするかな〜
距離的には今回到達済みだから、普通に登山とかしようかな。